平成総括(平成元年~平成31年の簡単な記録)

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「平成総括」と称して、平成元年から平成31年までを振り返ってみました。改めて、いろいろなことがあったな〜と思います。

平成元年:大荒れの中学校で息を潜めて暮らす日々を卒業。
平成2年:他者の価値観を尊重する人が集まる高校で楽しすぎて成績下降線。
平成3年:勉強が趣味のクラスメイトに囲まれ自動的に成績急上昇。
平成4年:もう受験勉強は嫌だというくらい勉強に明け暮れ大学入学、下宿生活スタート。

平成5年:体育会で全日本インカレ出場、ここが運動神経・体力ともに人生のピーク。
平成6年:大学の授業をほぼ全コマ出て、それ以外の単位も取りまくり、3回生で卒業に必要な単位は終了。
平成7年:なぜかマスコミに惹かれて就職活動するも全滅。


平成8年:銀行に入社、学生→社会人のショックを味わい、理不尽なことも数多く、納得のいかない日々。

平成9年:テニスやバドミントンを趣味で開始、週末は運動ばかり。
平成10年:インターネットに夢中、地球の反対側にいる人と意気投合、日本にやってくる。
平成11年:最大の親友を事故で亡くす、そのとき最後に話したのが「30歳までに一緒に事業やろうな」。これが遺言となってしまう。


平成12年:本店営業部へ異動。海外経験の豊富な同僚達に大いに刺激を受け、海外勤務したくなってくる。

平成13年:オランダに赴任、価値観の違いに衝撃を受ける。毎晩深夜まで働く。
平成14年:倒れて緊急帰国。銀行員生活終了。この年が人生の転換点。劇的過ぎる生活の変化で価値観が音を立てて崩れていく。病床で人生再設計。

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Keizersgracht, Amsterdam

平成15年:29歳で独立。図らずも大親友の遺言通り、30歳までに起業することになる。
平成16年:行政書士からホームページ制作に幅が広がり、ひたすらホームページを作る日々。公的機関での創業支援窓口業務開始。
平成17年:ひどいインフルにかかり、年始の20日間を棒に振る。講演の仕事が増え始める。

平成18年:正社員雇用、会社法施行。この年は業務のちょっとしたターニングポイント。外部環境の変化の凄さを味わう。

平成19年:書籍出版。執筆の仕事が増え始める。
平成20年:せと・しごと塾スタート。このおかげで地元が見えてくるようになり、居心地が良くなる。
平成21年:創業支援のプログラムを模索する日々。いろいろな文献、統計などを読み漁る。
平成22年:あちこちから多種多様な依頼をいただく。

平成23年:娘の誕生。その後東日本大地震が起こる。書籍も3冊出版。生活が大きく変わる激動の年。
平成24年:仕事を減らしたこともあり、悩みながら今後10年に繋がる種まきをする日々。この苦しい時期のインプットがなければ今はなかったと思う。
平成25年:ひょんなことから消費者庁から受章。同士と喜びを分かち合う。


平成26年:愛知県よろず支援拠点の仕事スタート。自分の型を一度壊して相談の理想形を模索する。

平成27年:補助金の相談が公的機関で増え始める。仕方なく知識を身につける。「金くれ」というスタンスに爆発寸前になることも。徐々に受け答えのコツを掴む。
平成28年:仕事面では出来過ぎなくらいの一年。ただし、健康面でかなりしわ寄せが来ていたことが後で分かる。
平成29年:商圏調査というジャンルで衝撃的な出会いがあり、大きく飛躍。苦手だった分野が武器になる。その他仕事は順調だが、仕事を受け過ぎて、断ることの必要性を痛感する。体調も悪化。

平成30年:新規の業務の大半をお断りするという非常事態。起業時には考えられなかった状況となる。仕事の質的向上の種まきが実った一年。講演は半減させ、ランチ草食生活も試み、劇的に健康回復。
平成31年:平成が終わり、令和時代へ。どんな年になるでしょうか。

以上、平成元年から31年までをまとめてみました。振り返ると、記憶に残っている出来事があまりない年もありました。

しかし人生何が起こるか分からないものです。海外で倒れる〜起業の時期をもう一度経験してと言われたら、「二度と御免」と即答しますね。ただ、この時の強烈な経験は間違いなく今に活きています。

これから令和の時代も、環境変化に負けず、しなやかに生きていくことができればと思います。

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